原発の話題がややこしくなる文系的な3つ(+1)の理由

震災から4ヶ月が経ち、僕の中でも漠然と感じていたことを経済評論家の山崎元さんが文章にしてくださっていたので。

今、何かについて発言する場合、「原発をどう考えるか」について自分の立場を明確にしないと十分な意見にならないことが多いように思います。
「原発の今後に関する簡単な整理」 - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」


原発の話題がややこしくなる文系的な3つの理由

  1. 人によって「人間への信頼度」が違う
  2. 人によって「時間軸」が違う
  3. 人によって「リスク許容度」が違う

やはり原発については基本的な姿勢は示さねばならないか。しかし、まず僕の意見を述べる前に、なぜこれほど「原発の話題」がややこしくなるのかということについての僕なりの現状認識を示しておきます。原発自体の技術的なややこしさはともかく、以上の3つの定性的な理由で原発の話題はややこしくなっていると感じています。



1. 人によって「人間への信頼度」が違う
原発の問題は原子力の問題ではなく、人間の問題である。
原発を自分と同じ人間がどこまでコントロールできると考えているかどうかで意見がかなり違ってきます。
人間をどこまで信頼できるか、そう、「性善説性悪説」と同じような構造です。
そりゃあ、ややこしくもなるわなと。



2. 人によって「時間軸」が違う
技術革新にいつまでに、どれほど期待するか。原発を存続・廃止できるかどうかは、その代替手段(節電技術や発電効率の向上、新技術、もしくは原発安全技術など)が、実現するかどうかにかかっています。
前出の山崎さんも、ここについてはなんとなくあいまいなままです。



3. 人によって「リスク許容度」が違う
これはもう純粋に「人それぞれ」そのものと言って良いでしょう。
子供がいるかどうか、自分が何歳かどうか、などの要因でリスク許容度が変化するでしょうから、今あげた2つの変数だけで相当な意見の幅ができてしまうことが容易に想像できます。


以上、「原発の話題がややこしくなる文系的な3つの理由」を述べてきましたが、そもそもの根本的なややこしくなる要因を忘れていました。



0. 意見を述べている人が多い
原発ステイクホルダーが非常に多いんです。
おっと、自己言及的になってしまいましたね。
お後がよろしいようで。


※長くなってしまったので私自身の意見についてはまた追って明らかにできればと思います。


@ymkjp